就農者インタビュー

Start Farming

川島寛明さん
親元就農

妻との結婚を機に、妻の実家の農業を継ぐことを決心

川島 寛明さん(46歳)
[高知市/施設キュウリ農家]

寛明:私は神奈川県で20年間サラリーマンをしていました。実家が造園業を営んでいたこともあり、子どもの頃から植物に興味がありました。
 また妻の実家は高知市春野町のキュウリ農家ですが、高校卒業後に上京し神奈川県で働いていました。
 そんな私たちが結婚を考え始めた時、妻の両親が2年前にキュウリ栽培を辞め、ハウスが空いていることを聞いて、使わせてもらえるならありがたいという気持ちもあり、「実は以前から農業に興味があり、就農という選択肢も考えている」と率直に妻に話しました。

妻:最初に聞いた時には、寝耳に水でびっくりしました。私は都会が好きで骨を埋めるつもりでしたから(笑)、少し悩みましたね。でも夫が決めたこと、「じゃあ、そうしようか」と答えたと思います。そして「春野に帰って夫婦で農業をやりたい」と実家の両親に相談したところ、非常に驚いていましたが、母は自分達の代で農業を終わらせることを残念に思っていたので、「農業を継いでくれるなら良かった」と喜んでいました。

寛明:妻や両親の理解もあり、高知市での就農に話が進み始めました。
 そこで就農に向け情報収集を始め、高知県立農業担い手育成センターが東京で開催する「こうちアグリスクール」のことを知りました。私たちは2人とも会社員でしたので、高知県の農業のことは何も知らなかったため、急遽2人で参加しました。アグリスクール受講後には、お互い仕事を辞めて結婚、その後すぐ高知へ帰りました。
帰高後、早速ハウスの修繕から始めました。そして、義母やJA職員等に教えてもらいながら、義母が再開したキュウリ栽培を夫婦で手伝うことからスタートしました。
 ある時、関係機関の方から、後継者の育成発展を支援するための農業担い手支援事業で、農業担い手育成センターでの研修ができることを知りました。農業の基本を学ぶには良い機会だと考え、親元でのキュウリ栽培を半年経験した後、農業担い手育成センターでの3ヶ月の研修が始まりました。

高知県立農業担い手育成センターでは最新技術を学べました

川島寛明さん

 半年間キュウリ栽培を手伝ったとはいえ、入校当初は分からないことだらけでした。でもすぐに、植物生理や栽培理論を理解できるようになり、さらに環境測定装置の使い方・数値の見方、その数値を踏まえた理論的な温度管理まで勉強できました。素人の私が、基本を一から学び最新技術まで学べたことで、農業の基礎が身についたと思います。現在、私自身もハウスに環境測定装置を導入し、義母の肌感覚を数値化しようと試みています。
 妻は「農業担い手育成センターで仲間ができたこと」が良かったと言ってくれます。同じ悩みを持つ者同士、寮生活を通して絆を育み、高知県内に多くの知り合いができ、今でも年2回は飲み会をしています(笑)。

就農して感じる「やりがい」と「責任感」

川島寛明さん

 高知へ初めて来た時には、周囲の皆さんが話している言葉が時々分かりませんでした。今は理解できてると思いますが(笑)。
 また、春野で農業を始めたことが、あっという間に町内に知れ渡り(笑)、町内会や田役(農業用水路の掃除)などの地域活動にも呼ばれ参加するようになりました。いつも地域の皆さんには助けてもらってばかりなので、都会ではできなかった地域の皆さんとの活動にもやりがいを感じます。やっぱり、高知県に来て良かったですね。
 サラリーマン時代と比べ、農業はモチベーションが違います。手をかければかけるだけ結果が返ってくるので、やりがいがあります。と同時に、自営業ですので当然責任感も感じます。以前より自分の時間を作れるようになりましたが、考えすぎちゃうこともあります(笑)。
 親元就農して2年目の今作は、私たち夫婦2人で1つのハウスを任されていますが、まだまだ試行錯誤の状態で、夫婦で日々話し合いながらキュウリと格闘しています。
 結婚を機に、実家のキュウリ農家を手伝い始めてまだ2年ですが、夫婦2人で納得できるキュウリ栽培を目指して頑張っています。